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アイスホッケーとは

  • Posted by: NEW1919
  • 2009年5月 7日 16:54
アイスホッケーは、天然または人工氷のスケートリンク上で、スケート靴を履いて行う団体スポーツ競技である。 陸上で行われるホッケーの形式を氷上に持ち込んだもの。 2チームが長方形をしたリンクの中で、スティック (Ice hockey stick) (長い柄の先端部分に角度をつけ湾曲させた杖状の用具)を用いて硬質ゴムでできた扁平な円柱状の パックを打ち合い、相手方のゴール (Goal (ice hockey)) に入れることでその得点を競うゲーム。 『氷上の格闘技』とも呼ばれている。漢字を当てて氷球と表記される。

 
2006トリノオリンピックの試合の模様(動画)スケートを用いるため、グラウンド上の同種競技と比べ格段に早いスピードが出てゲームをスリリングなものにするが、接触等による危険が高いため全身に防具を装着してプレーを行なうことが義務づけられている。

アイスホッケーが盛んな国として、世界ではカナダ、アメリカ合衆国、ロシア、スウェーデン、フィンランド、チェコ、スロバキア(1993年以前、前2国はチェコスロバキア)、ベラルーシ、ウクライナ、スイスなどを挙げることができる。冬季オリンピックなどでこの競技を統括する国際アイスホッケー連盟(IIHF)の加盟国(または地域)は、64カ国に及ぶ(国際アイスホッケー連盟の2005年現在調)。

アイスホッケーの起源については、さまざまな説がある。

16世紀のオランダの絵画(例えば、Romeyn de Hooghe や Hendrick Avercamp の作品)には凍結した運河の上で、市民がホッケーに似たようなスポーツを行っている光景が描かれている。もっとも、これらの絵画で描かれているスポーツは、ホッケーというよりはむしろゴルフやポロに近いとする説もある。

スコットランド発祥のシンティ(Shinty)、アイルランド発祥のハーリング(Hurling)、ネイティブアメリカンのチペア族のプレイしたバゲタウェイ(Baggataway)などのスポーツが起源であると考える説もある。これらのスポーツについて近代的なアイスホッケーとの主な相違点を挙げると、シニーやハーリングにあってはゴーリーが不在、スケート靴を履かない点があり、バゲタウェイにあっては出場選手の数が多い点などがある[1]。このほかにもホッケーの原型に当たる競技として、イングランドのバンディ(Bandy)やフィールドホッケー(Field Hockey)、カナダのシニー(Shinny)やリケット(ricket、ノバスコシア)、米国のアイス・ポロ(Ice polo)などが挙げられる。

1763年にフランスからカナダ領土を勝ち取ったイギリス人兵士達は、フィールドホッケーの経験と、ノヴァスコシアのアボリジニが行っていた競技、ラクロスを組み合わせ、凍結した河川、湖、池などでカナダの長い冬の慰みとしたと伝えられる。フィールドホッケーのボールは余りにも飛びすぎて危険だったため、ボールを小さめにして飛ばないように工夫をされたという。またサッカーやフィールドホッケーと同じくゴールの代わりとして氷柱を代用したり、また両チームが均等な人数ならば試合が可能とされていた時代もあった。

近代的なアイスホッケーの起源のみに限定しても、カナダのモントリオールとする説の他、キングストン、ウインザー、ノヴァスコシアなどもその発祥地として名乗りを上げている。

 
初期の屋内リンク今日行われるような屋内でのアイスホッケーのルーツは19世紀、カナダでフィールドホッケーを氷上で行なった遊びにあるとされている(モントリール市の公報には、1875年3月3日に初の屋内試合が行われたとの記録がある)。

1877年には、マギル大学の学生であった、ジェームス・クライトン、ヘンリー・ジョセフ、リチャード・F・スミス、W.F.ロバートソン、W.L.マリー、フランク・パトリック、レスター・パトリックらが、乱雑であった試合に意味を持たせるためラグビーなどのルールを参考にして7つのルールを整備し、地方紙上で発表した[2]。ルール整備によってゲームが洗練されると、アイスホッケーの人気は高まり1883年にはモントリオールの冬祭り(Winter Carnival)の行事に組み込まれるようになった。

この前後からアイスホッケーはカナダ各地で実施されるようになり、1887年にはオンタリオ州でアイスホッケーのリーグ戦も開催された。さらに1896年にはアメリカでも公式戦が開催され、1897年にはカナダ・モントリオールで現在のルールが制定されるなど、アイスホッケーは北米を代表するウィンタースポーツとしての地位を確立した。

1888年に時のカナダ総督スタンレー卿は、この冬祭りを見物した折にこの競技に感銘を受けて、ベストチームに優勝杯を贈ろうと考えたとする説がある(もっとも、彼の妻や子供達の方がこの競技に熱心であったという説も有力である。)。これが今もNHLの優勝チームに授与されるスタンレー・カップの起源とされる。なお、スタンレー卿の子供が本国のイギリスにアイスホッケーに関する知見を持ち帰って、そこからヨーロッパにこの競技が広がったといわれる。

世界初のプロ選手によるリーグ戦NHL(ナショナル・アイスホッケーリーグ)は1917年度から開始され、以来毎年11月から翌年6月にかけてアメリカ、カナダの各地で氷上の格闘技といわれる激戦の数々を開催してきた。また1997年のシーズン開幕戦は初めての海外興行として日本の東京(代々木第1体育館)で「バンクーバー・カナックス vs マイティーダックス・オブ・アナハイム」の試合が開催された。

第18回長野冬季オリンピックからプロ選手の出場が認められており、現在でも冬季オリンピックの大会中でもメイン競技のひとつに挙げられている。
 
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バスケットボールとは

  • Posted by: NEW1919
  • 2009年5月 7日 16:53

バスケットボール (basketball[1] 、籠球:ろうきゅう) は、5人対5人で一つのボールを使い、相手チームのバスケットにボールを入れること(シュート)などで得点を競うスポーツである。試合時間終了後に、より多い得点を得たチームが勝利となる。また、その競技に使用する専用のボールを指すこともある。

バスケットボールは一人の人物によって考案された数少ない競技のひとつである。考案者はアメリカ、マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCAの訓練校の講師を務めていたカナダ人のジェームズ・ネイスミスで、彼の考え出したルールが現在のバスケットボールの原型になっている。初めての公式試合はその大学で1892年1月20日に行なわれた。ネイスミスは、ニュー・イングランド地方の長い冬に外でスポーツ(アメリカンフットボール)ができない間、室内でアメリカンフットボールと同じくらい激しく行えるスポーツを求めていた。そこで体育館のギャラリーに桃を入れる籠(かご)を下げて、そこにサッカーボールを入れ合う、今のバスケットボールの原形が生まれたのである(考案された当初は桃の籠にボールが入りショットが決まるたびにジャンプボールをして試合を再開していたが、その後、数度にわたるゴールの形状の変遷にあわせてルールも変遷し最終的に現在のような形に定まった)。考案当初には逸話が多く存在し、人数を設定していなかったため100人近くでプレーする高校が出た、籠を取り付けた2階には観客がおり、ゴールを妨害することがあった、などのものがある(リングの後部に設置されるバックボードは本来は観客による妨害を防止する目的で設置されることになったものであるという)。

バスケットボールは当初から人気があり、スミス大学の体育教師を務めていたセンダ・べレンソンによって女子バスケットボールが始められるなど、その年のうちにアメリカ国内のあちこちで競技されるようになった。そしてYMCAを通じ世界各国へ急速に広まり、1904年から1924年までオリンピックの公開競技として行われた。1932年6月には国際バスケットボール連盟(FIBA)が結成され、1936年のベルリンオリンピックから男子オリンピック正式種目に採用された。また、1976年のモントリオールオリンピックから女子正式種目にも採用された。

アメリカ国内では、1946年に男子プロバスケットボールリーグBAAが創設され、3年後NBLと合併しNBAが誕生した。1967年に、対抗するリーグABAが設立され地位を脅かしたが、1976年にABAは消滅し、NBAは現在も世界最高峰のリーグとして君臨し続けている。NBAには、ジョージ・マイカン、ビル・ラッセル、ウィルト・チェンバレン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダンなどのスター選手が所属し、1992年のバルセロナオリンピックではドリームチームを結成、圧倒的な強さで優勝を果たし世界中を魅了した。また、1996年には女子プロバスケットボールリーグWNBAが設立され、シェリル・スウープス、リサ・レスリー、ローレン・ジャクソンなどのスター選手が台頭した。

NBAやオリンピックの活性化に伴い、近年バスケットボールの国際化が急速に進んでおり、FIBA発表では1998年時点で世界の競技人口は4億5000万人、FIBAに加盟した国と地域は2006年8月時点で213まで増加した。

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アメリカンフットボールとは

  • Posted by: NEW1919
  • 2009年5月 7日 16:52
アメリカンフットボールとは、フットボールの一種であり、楕円形のボールを用いて、2つのチームで得点を競い合うスポーツ(球技)である。

ゲームの目的は、ボールを相手陣内のエンドゾーンに向けて前進させ、得点することである。ボールを前進させるには、主にボールを持って走る方法(ランプレー)と、味方にパスを投げる方法(パスプレー)がある。得点を得るには、主にボールを持ってゴールラインを通過する、エンドゾーン内でパスを捕球するほか、キックしたボールをゴールポスト上に通過させるなどの方法がある。試合終了時に得点の多いチームの勝ちとなる。

アメリカおよびカナダで単にfootballというときは、アメリカンフットボールのことを指す場合がほとんどである。他の国では、American footballという呼び方のほか、オーストラリアでは主にgridiron football(「gridiron」とは焼き網という意。フィールドのラインがそのように見えることから)とも呼ばれている。日本では、一般的にアメフトまたはアメフットと略される。また以前はアメラグ(アメリカンラグビーの略)とも呼ばれた。因みに、鎧(よろい)を髣髴させる装備をしていることから、鎧球(がいきゅう)と表記されることもあった。

アメリカに初めて英国のフットボールが紹介されたのは、1867年であるとされている。始めたのはプリンストン大学で、サッカールールのゲームであったが、プレーヤーの数は各チーム25人の計50人だった。続いてラトガーズ大学でも、やはりサッカータイプのフットボールを始めたのだが、プリンストン大学とはルールが異なっていた。

アメリカにおける最初のフットボールの大学対抗試合(インターカレッジ・フットボール)は、やはり25人ずつのプレーヤーによるサッカータイプのゲームで、プリンストン大学とラトガーズ大学の間で、1869年にニュージャージー州のニューブランズウィックで行われた。この時にルールの統一を図り、ボールを持って走ることと投げてパスすることが認められた。しかし、この時点ではまだボールは丸いサッカーボールであった。そして、コロンビア大学、プリンストン大学、ラトガーズ大学、およびエール大学から成るインターカレッジエイト・(サッカー)フットボール・アソシエーションが、ルールを標準化するために1873年に作られた。

一方、ハーバード大学はこのグループに参加することを拒否。他の相手を求めてカナダのモントリオールのマギル大学からの挑戦を受け、1874年5月14日、ラグビールールの試合を行った。ラグビーに限りなく近かったが、これが事実上、初めてのアメリカン・フットボールの試合だったと言えるのかもしれない。そしてその後も2校は、ラグビールールの下で、1874年から1875年にかけてシリーズ戦を行った。

ラグビータイプのゲームはまもなく他の学校にも流行りだし、そしてその後十年以内にアメリカンフットボール特有のゲーム形式は発展した。そして19世紀後半以来、アメリカンフットボールは大学のスポーツとして人気を博している。
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カーリングとは

  • Posted by: NEW1919
  • 2009年5月 7日 16:50

カーリング (curling) は氷上で行われるウィンタースポーツのひとつである。

4人ずつ2チームで行われ、目標とする円をめがけて各チームが交互に8回ずつ石を氷上に滑らせる。石を円の中心により近づけたチームが得点を得る。これを10回繰り返し、総得点で勝敗を競う。高度な戦略が必要とされ、その理詰めの試合展開から「氷上のチェス」とも呼ばれる。

15世紀にスコットランドで発祥したとされ、当時は底の平らな川石を氷の上に滑らせていたものとされている。氷上で石を使うカーリングの元となったゲームの記録は、1541年2月にさかのぼる。場所はスコットランド、グラスゴー近郊のレンフルシャーである。「カーリング」という名称の起源は定かでないが、1630年のスコットランドの印刷物中にこの名称の使用が確認されている。スコットランドでは16世紀から19世紀にかけて戸外でのカーリングが盛んに行われていたが、現在のルールは主にカナダで確立したもので、1807年には王立カーリングクラブが設立されている。1832年にはアメリカ合衆国にカーリングクラブが誕生し、19世紀の終わりまでにはスイスとスウェーデンへと広まった。1998年の長野オリンピック以降冬季オリンピックの正式種目として採用されている。現在ではヨーロッパ全域をはじめ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国などで行われている。

トリノオリンピックでは、女子日本代表チームが健闘。最終順位は7位で、メダル獲得には至らなかったが、その懸命な姿は日本の視聴者に大きな反響を巻き起こした(トリノオリンピックにおけるカーリング競技参照)。

カーリングというスポーツは、いわゆるスポーツマンシップを重んじる競技であるため、例えば相手チームの失策を喜んだり、あるいはそのような態度を示すことは、慎むべき行為として忌避される。途中のエンドの終了時に自チームに勝ち目がないと判断したとき、潔く自ら負けを認め、それを相手に握手を求める形で示すという習慣もフェアプレーの表れの1つである。自分がファウル(ルール違反)をした時、それを自己申告するくらいのプレイ態度が期待される。

また、ゴルフと同様に、カーリングは元来基本的には審判員が存在しないセルフジャッジ(試合中のその場の両チームの競技者自身が判定する)の競技であることからも、無用のトラブルを避けるためにも、フェアプレーはカーリングに欠かせない要素と考えられる。
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ハンドボールとは

  • Posted by: NEW1919
  • 2009年5月 7日 16:47
ハンドボールは、7人ずつの2組がボールを相手のゴールに投げ入れて点数によって勝負を競うスポーツである。
走・跳・投という運動における基本3要素を求められさらにボディコンタクトという格闘的な意味も含めた総合スポーツでありダイナミックなシュートシーンやスピーディーな試合展開が魅力となっている。
五輪競技であり、本場欧州では、サッカーに次ぐ人気を誇る国もある。

発祥は1898年にホルガー・ニールセン(Holger Nielsen、人工呼吸法の一つ「ニールセン法」を考案した人物)が考案し北欧を中心に行われていた7人制と、1910年代に現在のドイツ・ベルリンで女子を中心に行われていた11人制の2つの形式で始まった。当初は11人制だったが、徐々に7人制の方が主流となり、女子は1962年、男子は1967年の世界選手権から7人制で一本化された。1906年には、最古のハンドボール競技規則が刊行された。

日本では1922年7月24日、大谷武一が大日本体育学会において11人制を紹介、1938年、日本ハンドボール協会設立、1952年には7人制が初めて行われ、以降、7人制が普及した。
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